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八重の桜 最終回(第50話) 最後のシーン 私は諦めない 感想 [テレビドラマ]

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八重の桜がついに最終回を迎えました。

八重のお母さんが亡くなり、姪の久栄があっさり
病死したと軽くスルーしていよいよ八重も亡くなるのかと
思いきや、ついに大河ドラマで主人公が一生を終える
ことなく完結してしまいました。

かつて熊本から同志社へ転入してきた通称「熊本バンド」
のひとり徳富猪一は八重のことを「鵺」と呼びましたが
いつまで経っても年を取らない八重は正に「鵺」の
ような様相を呈していましたがしかし、
大河ドラマといえば主人公が最後は死んでおしまいなのは
通例です。

あの「篤姫」だって最後は死んでおしまいでした。

そういえば上野樹里主演の「江」はどうでしたっけ?

余りにもくだらなかっため途中で観るのを
断念しましたが、
今まで観てきた大河ドラマは皆最後は
死んでおしまい、というパターンだったので
「八重の桜」
はあらたなパターンかもしれません。

どんなに面白かった大河ドラマでも
通常最後はつまらない締め方で終わるのですが
この「八重の桜」はどうだったのでしょうか。

私は結構面白かったのではないかと思います。

最後まで新しいことに挑戦しながら
会津の誇りを失わなかった頑固一徹、

”明治の女”

を演じきったかと思います。

それにしても明治維新後僅か20年足らずで
対外戦争を行ったのですから日本はもの凄い速さで
富国強兵を進めてきたんですね。

ホントにすごいことです。

会津は会津のためだけに戦いましたが、
薩長は将来の日本のために戦ってきたことを
思えば会津の人たちには申し訳ありませんが、
踏み台にされても仕方がないのかな、
なんて思ったりします。

それにしては犠牲は多すぎたと思いますが。

逆賊の汚名を着せられてボコボコに痛めつけられた
会津が

「薩長憎し」

なのはわかりますが、それでも維新がなった後も
「会津の汚名を晴らす」
の一心で困難に耐えてきたことが
なかなか世の中に知られることにならなかったのは
いたし方ない気がします。

まあ、当事者にすれば許せないことだと思いますが。

でも、じゃ維新がならなかったならば
日本はどうなっていたのか?

を考えると明治新政府が誕生したことは
後世の日本人にすれば良かったことだと思う訳です。


それにしても西郷頼母の役回りってなんだったのでしょう。

最後は老いさらばえても武士なのに生に執着していたところは
なかなか理解されないと思います。

西田敏行が好演しましたよね。

このドラマの主人公、新島八重は立派な女性でした。

夫の新島襄も立派な人でしたし、
八重の兄、山本覚馬も立派な人でした。

明治の人たち凄すぎです。


ところで最後のシーンですが、
八重が徳富猪一に語った

鉄砲の弾が最後の一弾になった時に今なら何に向かって打つか、
というシーンですが、

八重のイメージの中では最後の一発を空に向かって打ち込みそして

「私は諦めない」

で締め括りましたが、ちょっと意味が分からなかったです。

既に徳富猪一も退出していたようですし
どんな暗示だったのでしょうか。

そこのところがスッキリしなかった気がします。

ただ全話を通じて観て

”いいドラマ”

だったと思います。

視聴率が低迷していた理由がイマイチ分かりませんが
いいものはイイ
と言えます。

今年の大河ドラマを観なかった人は勿体なかったと思います。
それぐらいの出来だったと個人的には思う訳です。

さあ、来年は「軍師官兵衛」が始まります。
幕末よりも戦後物の方が視聴率が取れるので
多くの人が見るのではないかと思います。

岡田官兵衛、どんな演技を見せてくれるのか楽しみです。


 


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